祢宜(ねぎ)の歴史
ミソギの中心になる人を祢宜という。
ミソギの中心になる人を祢宜という。
祢宜(ねぎ)の役割りと沿革
ミソギの中心になる人を祢宜という。祢宜は池ノ上の住民(氏子)の中から選ばれる。祢宜は大祭の一週間前から「オコモリ」を始める。オコモリは1952年まで、祢宜宅で行っていたため、祭り当日は裸男集団は祢宜宅に集まりそこから出発した。以降公民館で行っている。(現在は参集殿で3日間のオコモリ)
オコモリの期間に入ると、祢宜は昼間は平常の仕事を勤め、夜は祭り元の公民館で泊る。オコモリの間は、主食のご飯は男の炊いたものしか食べてはいけない。こうして女を断るのである。
オコモリの間に、特別な行(ぎょう)をすることは無く、ただ期間中のうちに、漆の木で杓子一本と箸五膳を作らねばならない。その間、公民館は女人禁制で女の入室は一切厳禁している。
副祢宜の誕生
祢宜のほかに1955年から副祢宜をつくった。かくて今までの祢宜は「正祢宜」と呼ぶようになった。
副祢宜を設けた理由は、主として2つある。一つは祢宜が祭日に3度ミソギをすることは、体力的にも負担が大きかったので、副祢宜を設けて、その一部を負担させようとしたのである。現在3回のミソギのうち、第1回第3回は正祢宜、第2回は副祢宜がシンオトコをつとめるようにした。もう一つは正祢宜は池ノ上の氏子から選ぶことと限られていたので、他地域からの熱意を盛り立てるため、地域を限定しないで選べる副祢宜を設けた。